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神戸ビジネス関係者 宇和島屋の成功に注視

September 30, 2016 The North American Post Staff 0

神戸市から先週、神戸経済同友会の関係者約20人が当地を訪問。22日には宇和島屋シアトル店を訪れ、日系マーケットの現在に至る足跡や、日本商品の米国での展開可能性などについて学んだ。  同会は神戸の企業関係者によって構成され、同地域経済の方向について様々な視点から考察、活動結果を自治体へ提言しているという。塚本晃彦代表幹事は、「姉妹都市で海を挟んでつながっているシアトルで、宇和島屋が大きな成功を収めたものは何だったのか大変興味深い」と語る。  当日は宇和島屋のトミオ・モリグチ会長が当地日系社会の歴史や現状について紹介。モリグチ家を紹介しながら宇和島屋や日系社会の歩みについて紹介した。また食品の仕入れを総括する渡部美沙緒さんが、創業90年近くになり当地に定着する宇和島屋の存在や、日本食品の米国での展開の可能性について質問に答えた。  塚本代表幹事は、「日本人移民に合う味を提供するなど、地元のお客さまの声に応え、種をうまく巻いてきたこと。また機に応じる商才があるのだと思います」と宇和島屋の背景について印象を語った。今回の訪問ではボーイング社の視察なども含まれているという。 (記事・写真 =   佐々木 志峰)

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日系牡蠣ビジネス

September 30, 2016 The North American Post Staff 0

 今年の春先、ポートランドへの取材を兼ねて、ワシントン州沿岸を車で下った。行先は牡蠣ビジネスで盛んなサウスベンド、その先のネマーという小さな町だった。ここまで来ると、オレゴン州との境となるコロンビア川も近い。   平坦な海岸の道のりが開けた場所に小さな集落があり、二世の日系牡蠣業者だった故ジロー・ナカガワ(中川)さんの牡蠣養殖所跡があった。ビジネスはすでに閉じられているが、そこに残る当時の面影残る古い建物は当時の雰囲気、様子を十分に伝えるものだ。  潮が満ち、引き、牡蠣を積んだ船が付く桟橋。牡蠣むきの作業に使った工場。建物のはずれには牡蠣の殻が山積みとなり、丘のようになっている。そこを上り、周りを見回し写真を撮った。春先のどんよりとした天気、静寂な一瞬、日系牡蠣養殖の関係者たちの生活、ビジネスに思いを馳せた。何か特別な時間だったと記憶している。同地ではコミュニティー関係者により、記念碑の設置も考えられていると耳にした。  地元シーフードレストランなどで見かける牡蠣メニューにある「KUMAMOTO」の文字。1950年代あたり、本紙アーカイブ記事でも見ることができるが、ワシントン州、オレゴン州の沿岸で盛んに行われていた牡蠣ビジネスへ日本の牡蠣が輸入された。牡蠣と日系のつながりは深く、移民の歴史をつづった『北米百年桜』でも、一章を割いて日本からの牡蠣の輸入養殖を含め、移民初期の苦労が紹介されている。第二次世界大戦前にも多くの日系関係者が当地で養殖業に携わった。先述のナカガワ氏もその1人だ。  10月9日、シアトル市内ユニバーシティー・ディストリクトのVarsity Theaterで、ノースウエストの牡蠣業界に貢献を果たした日系人を紹介するドキュメンタリー映画『Ebb and Flow』が初公開される。牡蠣ビジネスを中心に様々な苦難を乗り越えてきたストーリー。同業界のパイオニアでもある山下ファミリーの中でも、93歳を迎える二世のジェリーさんとその家族に焦点を充てる。  午後1時から。イベントには山下さんも出席する。入場料は、3年をかけた映画政策費用をまかなうための募金となる。 (佐々木 志峰)

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デンショー、発足20年  歴史から紡ぐ  現在、未来への教訓

September 30, 2016 The North American Post Staff 0

第二次世界大戦の日系人経験を中心とした歴史保存に携わる非営利団体「デンショー」が発足20年を迎え、24日にシアトル・ダウンタウンのシェラトンホテルで記念夕食会を開催。コミュニティー関係者、支援団体を含め500人以上が出席した。  デンショーは1996年、関係者がベルビュー市内の教会に集まり、日系人収容の歴史を次世代に伝える意義の大きさについて話し合った会合が始まりとなる。インタビュー、資料のデジタル保存活動を続け、2001年の米同時多発テロ事件後は、人種偏見と戦うマイノリティー社会とも連携し、社会正義のアピールや、教育機関への資料、カリキュラム提供といった活動を続けている。収録したインタビューは900人以上、保存資料は5万点を超え、専用オンライン百科事典も開設されている。  一方、真珠湾攻撃に始まる日米開戦から75年を迎え、当時を知る経験者は毎年数を減らしている。トム・イケダ事務局長はインタビューを行った900人のうち、半数以上が死去していることを報告。各自が残した力強いメッセージを伝えるため、「これからもインタビューを続けたい」と、歴史保存へ強い意欲を見せた。  マイノリティーの歴史をデジタル保存化するプロジェクトは全米でもほとんど例を見ない90年代。マイクロソフト社などで経験を積んだ三世が中心に立ち上がり、現在では日系社会のみならず、様々なマイノリティー社会と連携し、デンショーの運営経験が伝えられている。   夕食会にはオバマ大統領もメッセージを寄せ、人種、出身地に関係なく、恐怖や不安のない社会づくりに貢献を果たしていると讃えた。シアトル市のエド・マレー市長もデンショーの活動を踏まえ、当日を「デンショーの日」と認定した。  基調演説には、80年代のフレッド・コレマツ氏の再審など数々の重要弁護を担当したデール・ミナミ氏が登壇。歴史と教訓がたびたび忘れられ、歴史との繋がりさえ見落とされがちな現在社会に警鐘を投げかけた。  ミナミ氏は、日系人差別などを背景に収容所政策が異論なく行われた時代や、その歴史を変えた戦後補償活動、「反乱分子」とされた徴兵拒否者たちへの認識を変えた日系社会の成熟を例を挙げ、時間と共に声を上げ、歴史が変わってきた経緯を紹介。「我々が経験したような不正義が繰り返されないように、知識、歴史、道徳、強い意志を持ってもらいたい」と訴えた。

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シアトル石垣プロジェクト 5

September 30, 2016 The North American Post Staff 0

参加者の大半は石工ではなかった。  最年少の少年はセス、という14歳の男の子だった。僕の知人の富豪の孫で、どうしても、と頼まれて参加させた。彼は、やはりお坊ちゃんだったが驚くほど礼儀正しかった。毎日、終わりには僕や純徳社長を探し出して挨拶してから帰っていくのであった。やはり重労働、手作業、石、等々彼にとって初めての事ばかりだった。しかし、このワークショップに集まった人たちは皆セスを弟か子のように扱ってくれた。鑿とハンマーの持ち方から、飛び矢を使って石を割る方法まで、誰かが、手取り足取り教えてあげていた。セスもとても素直な子だったから、教える方も教えやすかったのもあったと思う。僕も、セスとはワークショップ内外で何回もやり取りがあったが、何故か少し寂しい感じの子だった印象がある。  セスは、スーパー石工のカイルの姿に憧れたようで、カイルの真似をし始めた。なんとなく微笑ましかった。カイルは手首に革製のかっこいいリストガードをつけているのだが、セスもワークショップが始まった数日後にはそっくりのを持ってきた。お爺さんに頼んで作ってもらったそうだった。カイルのリストガードは「二つ目の皮膚」とでも言いたくなるほどの形と色になっていたのに対して、セスのはまだ真新しい色で硬そうだったが、それを大切に大切にしていた。 ◇ ◇ ◇  ロリンとデリックの本業は庭師だった。だから少し石に慣れていたが、やはり叩いた事はあまりなかった。ロリンとデリックは石の形作りに魅せられてしまった。  デリックはなかなか頑固な人で(石に向いている性格といえる)どうしても自分の持ってきた道具を使って石を叩くんだ、と聞かなかった。彼の道具はあまり手入れをしていないのがはっきり分かった。鑿の先など丸くなっていて、見るからに疲れそうな道具だった。だから、とても苦労して余分な労力を使って汗だくになっていた。しかし、ワークショップが始まって数日して、周りの人たちの使っている道具を観察することができたからだろうか、僕が貸し出していた道具使っていいか、と尋ねてきた。  もちろん!ハツリ鑿(ポイント)とコケヤス(ハンド・セット)とハンマーを貸してあげた。ワークショップが終わるまでそれらの道具が貸しっぱなしになっていたところを見ると、役に立ったみたいだった。(終わったら今度はこの道具売ってくれ!ときた。)  ロリンは鑿とハンマーで石を叩いて積むのが面白くなってしまって、ワークショップが終わったら庭より石をやり始めた。ワークショップの後に彼が積んだ壁を見せてもらったが、単なる壁、というよりもなんとなく芸術作品を思わせる、とんでもなく手の込んだバッチリした壁だった。果たしてこんな事で(あんなに手間と時間をかけていたら)商売になるのかな?と思ったが、何にしてもとても楽しんで作ったというのははっきり感じられた。見ていてうれしくなってしまう壁だった。確かにああいう壁が積めたら幸せになってしまうだろう。  ロリンは、「最初の一週間位は朝起きると左手(鑿を持つ方)が鑿を握ったままの形で固まっていて、右手で指を一本一本伸ばさなければならなかった。はははは」と言っていた。しかし、田部さんやカリフォルニアのスーパー石工達をよく観察すると、彼等はハンマーが鑿を叩く瞬間、ほんの刹那だが左手の握りを緩めているのが分かった。(もっと観察するとハンマーの握りも瞬時ゆるくなる。) 僕も、ロリンほどじゃなかったが特に始めのうち左手の指、特に人差し指と中指がパンパンに腫れ上がって、痛かった。しかし、僕も達人たちを観察して左手は本当に鑿の方向を決めて、そこに軽く抑えておくために使うんだという事が分かった(僕も彫刻で石を叩く事はあるから、一応そのことは知っているつもりだったが、あんなに力任せに朝から晩まで石を叩いた事などなかった。ちなみにアメリカの石工は石彫家のことを「趣味の石工」と呼ぶ)。   (続く) (児嶋 健太郎)

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シアトル図書館

September 30, 2016 The North American Post Staff 0

様々な団体、ビジネスでリーダーシップとともに活躍を見せる三世世代。シアトル公立図書館のテレサ・フジワラ会長もその1人だ。  コロンビアシティーの図書館近くで育った幼少時。「ロールモデル」と話す母親と毎週図書館に通った。2人で大量の本を借り、読書を楽しんだ。当時から培われた「読」の力と社会正義への認識。「最も民主的な場」と語る図書館での経験は、アジア太平洋系社会の支援団体、ACRSの発足に携わるなど、現在までのコミュニティー活動にも生きている。  図書館は「本」以上の意味を持つという。テクノロジーが発展し、本やメディアなどを探すのは容易となった。だが「コミュニティーの集まる場」という存在で変わることはない。高齢者にはコンピューターの指導、子供にはストーリータイム、小さなビジネスを営む人々へのワークショップ、移民者への生活のすすめ――。「図書館は地域コミュニティーの鏡となり、反映されたもの」と話す。  地元団体、機関との交流や提携も積極的に行われている。シアトル交響楽団の公開演奏、シアトル・シーホークスの地元試合ではパブリックビューイングも行った。  フジワラ会長は2010年に理事会に選出された。会長は2年目、任期は今年までとなる。図書館の今後として、自らが思い描く企画は数多く、自身をはじめとしたマイノリティー社会の資料貯蔵もその1つだ。ワ州日本文化センターなどとも提携し、一般市民が各マイノリティーの歴史、経験に「容易にアクセスし、学ぶ機会」を増やしたいという。本についても、地元作家に焦点をあて、「コミュニティーが生んだ作家たちに誇りを持ち続けることができるようにしたい」と話す。  現在、フジワラ会長ら役員を中心に、会員増加のキャンペーンを行っている。昨年の同時期、9月の1カ月で1万人増を達成した。今年はさらなる成果を見込んでいる。  現在、図書館カードの所持者は37万5千人以上という。シアトル市、キング郡の人口から見た場合、この数字はどのようなものだろうか。フジワラ会長は「まだまだ少ない。シアトル市民全員にカードを持ってもらいたい」と話す。  詳細は(206)386―4636、もしくはwww.spl.orgまで。     (佐々木 志峰)

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渡嘉敷選手、プレーオフへ弾み シーズン最終戦攻守共に大活躍

September 30, 2016 The North American Post Staff 0

 WNBAシアトル・ストームは16日、キーアリーナでレギュラーシーズン最終戦シカゴ・スカイ戦を88―75で勝利。リーグ7位でのプレーオフ行きが確定した。渡嘉敷来夢選手は14得点を挙げ、守備でも貢献する活躍を見せた。  渡嘉敷選手は第1クォーターに途中交代で入ると、アグレッシブなドライブで得点を決め、得点とファールをもらうカウントで3点を決め、さらに1分以内に得点を追加した。ディフェンスでは相手からファールをもらうチャージングを2回誘った。「いつも通りやることをやりました」と試合後は淡々と答えたが、リオ五輪後はプレー時間も伸び、成績も上昇しており好調を維持している。  2年目のシーズンは31試合に出場、1試合平均出場時間は13分、5・3得点、2・5リバウンド。レギュラーとなった昨シーズンとは立場がやや異なるが、チーム内での役割を実感しながら初のプレーオフに臨む。  プレーオフ第一ラウンドは21日に行われ、敵地アトランタでアトランタ・ドリームと対戦する。第一、第二ラウンドは一試合勝者勝ち上がりのシステムとなる。   (松井 貴海)

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