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デンショー、発足20年  歴史から紡ぐ  現在、未来への教訓

September 30, 2016 The North American Post Staff 0

第二次世界大戦の日系人経験を中心とした歴史保存に携わる非営利団体「デンショー」が発足20年を迎え、24日にシアトル・ダウンタウンのシェラトンホテルで記念夕食会を開催。コミュニティー関係者、支援団体を含め500人以上が出席した。  デンショーは1996年、関係者がベルビュー市内の教会に集まり、日系人収容の歴史を次世代に伝える意義の大きさについて話し合った会合が始まりとなる。インタビュー、資料のデジタル保存活動を続け、2001年の米同時多発テロ事件後は、人種偏見と戦うマイノリティー社会とも連携し、社会正義のアピールや、教育機関への資料、カリキュラム提供といった活動を続けている。収録したインタビューは900人以上、保存資料は5万点を超え、専用オンライン百科事典も開設されている。  一方、真珠湾攻撃に始まる日米開戦から75年を迎え、当時を知る経験者は毎年数を減らしている。トム・イケダ事務局長はインタビューを行った900人のうち、半数以上が死去していることを報告。各自が残した力強いメッセージを伝えるため、「これからもインタビューを続けたい」と、歴史保存へ強い意欲を見せた。  マイノリティーの歴史をデジタル保存化するプロジェクトは全米でもほとんど例を見ない90年代。マイクロソフト社などで経験を積んだ三世が中心に立ち上がり、現在では日系社会のみならず、様々なマイノリティー社会と連携し、デンショーの運営経験が伝えられている。   夕食会にはオバマ大統領もメッセージを寄せ、人種、出身地に関係なく、恐怖や不安のない社会づくりに貢献を果たしていると讃えた。シアトル市のエド・マレー市長もデンショーの活動を踏まえ、当日を「デンショーの日」と認定した。  基調演説には、80年代のフレッド・コレマツ氏の再審など数々の重要弁護を担当したデール・ミナミ氏が登壇。歴史と教訓がたびたび忘れられ、歴史との繋がりさえ見落とされがちな現在社会に警鐘を投げかけた。  ミナミ氏は、日系人差別などを背景に収容所政策が異論なく行われた時代や、その歴史を変えた戦後補償活動、「反乱分子」とされた徴兵拒否者たちへの認識を変えた日系社会の成熟を例を挙げ、時間と共に声を上げ、歴史が変わってきた経緯を紹介。「我々が経験したような不正義が繰り返されないように、知識、歴史、道徳、強い意志を持ってもらいたい」と訴えた。

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シアトル石垣プロジェクト 1

September 14, 2016 The North American Post Staff 0

「カイル、お前酔っ払ってるから運転しちゃダメ」  カイルは文句ありげに顔を上げると、「エェー…オォーー…だってブツブツブツ(文句を言っている)。じゃあ、トラック行ってくる」と言った。  「運転しちゃダメだよ」  「帰ってくるって」  そう言うと、彼は重そうなブーツをドカドカと鳴らしながらフラフラと家を出て自分のトラックの方に行ってしまった。  しばらくして帰ってくると、手に大きな鉄のランチボックスのようなものを持ってきた。それを家の裏庭のデッキのテーブルにドンと置いた。  不思議に思い、 「何これ、カイル?」と聞くと、 「強いやつ淹れるんだ」と、フラフラとバーナーだのカップだのを取り出し始めた。  見ているといい香りがしてきて、彼はささっと手際よくエスプレッソを何杯も淹れ始めた。明日も作業がある、夜中の12時過ぎである。僕の周りにいた石工たちも、「おお、ありがたい」とか言って集まってきてエスプレッソの小さなカップを持つと、美味しそうに一気飲みするのである。  カイルも二杯くらい飲むと幸せそうな表情になるのだった。  思わず、「あんたらやっぱどっかおかしいよ」と感心してしまった。  「じゃあ、がんばってください。僕は寝ます。おやすみ」――。僕は呆れたまま寝室に引っ込んだ。  夜中の3時頃にマットが目を覚ますと、カイルは庭の芝生の真ん中でタオルを巻いて寝ていたという。「しょーがねーなー、おら、カイル、部屋に入れ。ほら」といってカイルを室内に連れてくるのに成功したが、1時間もしないうちにまた外に寝に行ってしまったそうである。  野生人というより、野生動物に近い感じがした。(後で聞くと、カイルは他の野郎達のいびきがうるさかったから、と結構繊細なことを言うのであった) ◇ ◇ ◇  粟田建設の会長と社長に出会ってから4年。やっとのことで、シアトルで石垣を建設する段取りが整った。  社長達に出会ったのは、ベンチュラというロサンゼルスから一時間半くらい南にある海岸沿いの町だった。2010年春、そこで小さな石垣を建てようというワークショップがあり、僕はそれに参加していた。  ところがこのワークショップのオーガナイザーの爺様がとても頼りのない人で、日本勢を招くだけ招いて自分はさっさと傍観を決め込んだのだった。だから、通訳も、ガイドも、運転手も、オーガナイザーも誰もいなくても、そんなのどこ吹く風で、「ああ、それは大変だ」とまったく他人事かのように構えているのであった。だから、日本語が話せる僕がなんとなくそうしたこと全てをやることになってしまったのである。  しかし、僕にとってはかけがえのない経験になった。社長たちの日本語による説明を訳して、色々お話しているうちに、この人たちはすごい人たちだ、ということが分かった。粟田家二代前の粟田万喜三と先代(十四代目)の粟田純司はともに人間国宝である、只者ではない家系なのであった。  石垣の作業を手伝っているとき、「これはシアトルでやらないと」、と思いついて、シアトルに帰ってきた後もずっとそのことを考えていた。  さて、どこか石垣を建てさせてくれるような所はないだろうか? 資金はどうする? ワークショップの形は? 人数は? 問題はいろいろあった。  唯一問題でなかったのは、石だった。それは、単純に僕が石屋で働いているからであった。後は、とにかく当たってみないことにはどうにもならない。とりあえず、片っ端からあたってみることにした。  日系企業はよさそうに見えてなかなか難しかった。というのも、例えば一つの会社の敷地内に石垣を建ててしまったら、完成した後にそれが私物になってしまって、僕のやろうとしていることの精神と食い違ってしまうことになる。それと、もし、資金源が一つとか二つとか少なかったら、なんとなくそのお金を用意してくれた人、又は組織なり団体なりに依存する形になってしまうのでこれも又困る。  そんな訳で2010年の冬には、とうとう行き詰ってしまったのである。 […]

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マレー市長が発表 ID治安改善対策案

シアトル市内インターナショナルディストリクト(ID)の治安問題について1日、エド・マレー市長が4つのアクションプランを発表した。昨年、同地域の治安問題に献身してきたダニー・チン氏が殺害されたことを受けての対策となる。

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不法移民問題を考える   国境、押し寄せる人々     どのように向き合うか

メキシコ側から見る米国との太平洋沿岸の国境。  5カ月後に迫った大統領選挙の争点の1つとなっている不法移民問題。調査機関ピューリサーチセンターによると、米国に滞在する不法移民は1130万人(2014年)。国内人口の3・5%、労働市場の5・1%を占める。不法移民を取り巻き様々な議論が行われているが、当事者たちは何を思っているのか。不法移民の現状や、同問題に詳しい団体の活動を追った。

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問いかけ続ける平和の意味

広島、長崎の原爆投下から70年(写真=左から順に川原さん、田中さん、蜂谷さん) 1945年8月6日、午前8時15分、同年8月9日午前11時2分。広島、長崎に原爆が投下されて、今年で70周年を迎えた。広島中区にある広島平和記念公園では6日に平和祈念式典が開かれ、海外から過去最多となる100カ国が出席。長崎でも9日に松山町平和公園の平和祈念像前で平和式典が行われた。  原爆投下から70周年という節目の年、被爆者の平均年齢は80歳を超え、18万3519人まで減少した。核兵器の惨禍を経験した被爆者が年々減っていく現実を踏まえ、被爆体験をどう継承していくのかが問題となっている。  当地在住の田中リク子さん(87)、蜂谷桃枝さん(85)は当時共に、広島の日赤病院の看護学生だった。原爆投下後、手当を受けに病院前へ列をなす患者の容態は、皮膚が剥がれ落ちている者や髪の毛が抜け落ちている者など、言葉では言い表せない程の悲惨さだったという。  幸い2人とも建物内での被爆だったため、直接的な被害は受けていないが、田中さんは「大勢の人々が原爆で亡くなった。70年経った今、自分が健康に生きていられていることが不思議な気持ち」と語る。  当時の状況は悲惨で、生きていくために盗みをせざるを得なかった者、被爆者であると分かり離婚させられた者、放射線被害の深刻な後遺症が発生した者など、多くの人々が原爆の被害に悩まされていた。川原律子さん(79)は、「原爆の被害により、家族と離ればなれになってしまった人も多い。みんな家族に会えたのかわからない。思い出すだけでも涙が出てくる」と明かす。  3人をはじめ、関係者は毎年シアトル別院仏教会で行われる原爆犠牲者特別法要に出席。慰霊の気持ちを捧げた。川原さんは「当時の惨状を経験している者が減ってきた今だからこそ、若い人に伝えていきたいと思う」と続けた。   グリーンレイクでは毎年8月6日に「From Hiroshima To Hope」と題された灯ろう流しが行われている。参加者が灯ろうに思い思いの言葉を記す平和行事は、日本国外での原爆犠牲者追悼イベントとしては最大規模といわれている。地元団体が主催し、参加者は地元市民が中心となり、家族連れや若者の参加が多く目立った。地元在住の男性参加者は、「原爆の被害は甚大で悲惨。核戦争が今後起こらないよう願っています」と語った。  近年、米国市民の原爆投下に関する考え方も変化してきていることは興味深い。2015年、調査機関ピュー・リサーチセンターの世論調査によると、日本への原爆投下が「正当」と回答したのは56%。1945年当時にギャラップ社が行った調査では、「正当」と回答したのは85%で、当時と比べると減少している。  またイギリス世論調査会社ユーガブが7月に行った調査では、原爆投下が「正当」と回答した米国市民は46%にとどまり、中でも若年層の18~29歳と30~44歳の層では、原爆投下を「不当」とする回答がそれぞれ45%、36%を占め、「正当」と回答した31%、33%を上回る結果となった。  世界全体で核兵器廃絶を目指す試みが行われてはいるものの、いまだ1万5千以上の核兵器が存在している。核兵器を保有することは自国の防衛及び、他国への牽制になり得るが、核戦争発展への危険をも同時にはらんでいる。核兵器が存在する限り、誰しもが被爆者及び被爆国になる可能性がある。原爆投下70周年の今年、改めて核兵器の保有について考え直す必要があるのではないだろうか。  原爆投下という事実を変えることはできない。だが、唯一の戦争被爆国である日本の歴史を学び、一人一人が「平和」の意味を自分の胸に問いかけることで、過去の捉え方と未来を変えることができるだろう。 (記事・写真 = 太田 麻友)

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