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ジャパンフェア2016 会場大盛況、大成功の1年目 シアトルストームジャパンナイト 渡嘉敷選手を応援 レインFC、宇津木選手も参加

September 9, 2016 The North American Post Staff 0

女子バスケットボールのシアトル・ストームが8月31日、2年連続となるジャパンナイトを開催。ハーフタイムに和太鼓演奏、試合後に所属する渡嘉敷来夢選手との交流会が行われるなどファンを楽しませた。  ダラス・ウィングスとの試合は78―66で勝利。渡嘉敷選手は2得点だった。試合前には渡嘉敷選手の映像が流れ、観客から大きな歓声が起きた。和太鼓団のちきりと太鼓の学校によるハーフタイム演奏、試合後には約200人のファンが渡嘉敷選手と交流した。女子サッカーのシアトル・レインFCから宇津木瑠美選手もゲスト参加した。  渡嘉敷選手、宇津木選手への質問は次の通り。 ―日本とアメリカとのスポーツの違いは何ですか? 宇津木:「米国はやはりスポーツ大国ということもあり、スポーツに対しての雰囲気が日本とだいぶ違うのと、観客の数が段違いで多いように感じます」 渡嘉敷:「宇津木選手に付け足して、米国でプレーするときは、いつもフィジカルの違いを思い知らされます。米国で活躍するには、とにかくフィジカルの強化が必要」 ―東京五輪についてどう考えていますか? 宇津木:「日本開催ということで、とても盛り上がると思う。個人的に私も4歳若ければ」 渡嘉敷:「リオ五輪前にメダルを取ってくると約束したが今大会では取れなかったので、東京五輪では絶対に取ってみせますので応援よろしくお願いします」  この他にもいくつか質問に回答、普段聞くことができないプレー以外の話が聞け、会場は終始和やかな雰囲気だった。  ストームの地元試合は、11日、18日の午後4時からで、プレーオフも視野に入れる。レインFCは11日午後7時がシーズン地元最終戦となる。    (松井 貴海)

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JETプログラム壮行会 新たに35人、国際交流に力

 JETプログラム(外国青年招致事業)の参加者が渡航を翌日に控えた22日、大村昌弘総領事公邸で行われた壮行会に出席した。シアトルからは35人が参加する。  今年で30回目を迎える同プログラムの参加者数は、世界65カ国から6万2千人を超える。外国語指導助手(ALT)、国際交流員(CIR)、スポーツ国際交流員として日本各地に赴任、文化交流や外国語教育の普及などを通し、地域レベルの国際化推進の役割を担う。  日系の参加者としては、シアトル大学卒のマヤ・ラールさんが新潟県に赴任する。ワ州日本文化会館で日本文化に親しんできた経験に加え、去年上智大学で交換留学をしていたこともあり、日本で働くことにさほど緊張していない様子だった。「子どもに教えるのが楽しみ」と意気込みを話す。  壮行会に出席した兵庫県ワシントン州事務所の河知秀晃所長によると、兵庫県では公立高校すべてにネイティブの英語教員がいるという。兵庫からも日本語教師が派遣され、草の根レベルでの国際交流が行われている。  JETプログラムの任用期間は1年間。最長で5年まで延長することができる。 (大間 千奈美

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アジア系食料バンク支援 スワード公園で25日開催、 ウォーク・フォー・ライス

 毎年恒例となっているチャリティーイベント「Walk For Rice」が25日、シアトル市内スワード公園で行われる。  主催元である非営利団体ACRSはアジア太平洋諸国からの移民や難民に特化、高齢者、身体、精神障害者への支援、市民権獲得のためのサポートに加え、言語や就業訓練の教室などを運営する。  『Walk For Rice』は1990年に立ち上がったイベントで、集まった寄付金は、低所得者に向けたフードバンクの食材購入のために使われる。  1年目はビーコンヒルの中国人バプティスト教会から2・5マイルを歩き、参加者45人寄付総額は1800㌦だった。規模は年々大きくなり、現在は歩くだけでなく、野外ライブやダンスパフォーマンスといった文化的演出、アート活動、屋台なども含めた一大コミュニティー行事となった。25周年を迎えた去年は約800人が参加し、寄付額は26万6千㌦。25年で集まった総額は200万㌦になる。  同イベントをサム・ミツイさんと共に立ち上げたハーブ・ツチヤさんは、コミュニティーの寛容さについて語る。「地元教会会員を含め、たくさんの支援が集まり、寄付をしてくれる。中でも素晴らしいのは個人で参加する人の数が非常に多いことです」  26年前、ACRSフードバンクに寄付される食糧の多くは、東洋人に向けた食事ではなく、受給者のニーズに適っていない部分があった。ACRSのサービスを知ってもらうと共に、食べなれた米や豆腐、麺など健康的で栄養価の高い食糧を仕入れるための募金がイベント立ち上げにつながった。  ACRSフードバンクの前には毎週水曜日と金曜日、午前11時半から午後1時まで、300から400人が列を成す。ボランティアが準備に到着する午前7時にはすでに列ができているという。「並んでいる人は一世帯の代表者。それよりもっと多くの人が食料に困っているのです」と話すのは、ACRSで高齢者の栄養と援助を担当するミゲル・サルディンさんだ。  受給者の70%は18歳以下の子供、もしくは高齢者。去年は通年で5136世帯に供給された。近年では増加するホームレス支援として炊き出しも行っている。毎週約600人が訪れ、過半数はアジア系という。  24年以上フードバンクで食料を受給者に手渡してきたカレン・ザッケルさんは、「高騰する家賃や医療費などによって、近年は以前より頻繁にフードバンクに訪れる人が増えています」と話す。寄付金で米や麺を購入するのと同時に、地元農家や食料品店に掛け合い、新鮮で栄養価の高い野菜や果実を寄付してもらっている。  Walk For Riceの今年度目標額は27万5千㌦で、6月15日現在、約20%の5万5270㌦が集まっている。寄付は6月17日までにウェブサイトを通じて行うことができる。詳しくhttp://acrs.walkforrice.orgまで。 (記事・写真 =  大間 千奈美)

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オバマ大統領広島訪問  「戦争しない世の中に」   原爆経験者が願う未来の姿

 G7サミットで日本を訪れていたバラク・オバマ大統領が先週、現職として初めて、被爆地の一つ、広島を訪れた。大統領就任後、2009年のプラハ演説で「核なき世界」を提唱、翌年には米ロ間の核軍縮条約である新START署名や核セキュリティサミットの開催など核兵器削減に向けて尽力してきた。原爆ドームを背に行った式典では、改めて未来と平和への思いが共有された。  「今更謝罪しても死んだ方々が生き返るわけでもないからね。71年前、原爆を落としたことを謝ってもらうよりも、戦争しない世の中になってもらいたい」――。今回の広島訪問を受け、当地在住で被爆者の1人田中リク子さん(写真英語1面)は話す。  71年前の8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機に乗った原子力爆弾リトル・ボーイが広島市の中心地にある産業奨励館(現原爆ドーム)に落とされた。全壊全焼地域は半径2㌔におよび、約14万人の命が犠牲となった。  当時19歳で日本赤十字病院の看護学生だった田中さんは、病気で休む同級生の食事を寄宿舎に運ぶ最中だった。原爆投下後、すぐに近くの寄宿舎に逃れたが、下駄箱と壁の間に挟まれ気を失う。助け出されたのはその日の夕暮。救出されたのち、寄宿舎に向かい、下敷きになった人の救出活動をした。  助け出した人の中には頭が半分に割れた人、脳が出ていた人、既に亡くなっている人もいた。それでも「こんな時のために看護婦になったんだ」と気持ちを奮い立たせ救出活動にあたったという。  21年間、日本で看護婦の仕事を続け、40歳のとき、日本に訪れた亡き日系二世の夫と出会う。米国に嫁ぐ際には兄弟から「敵国」へ嫁ぐことを問沙汰されたこともあったそうだ。  1945年の原爆投下から数週間後に行われた米世論調査によると、69%が核兵器の開発に肯定的な反応を示し「良くないこと」という意見はわずか17%だった。原爆投下が日本の降伏、そして戦争の短縮化で米軍人の犠牲者をとどめたとの評価が世論に反映されている。一方で戦争終結は既に明らかだった、原爆の威力を世界に示すことで、米国の戦後の支配力確立を目論んだという見解もある。  共同通信社が広島、長崎で被爆者115人を対象に行った世論調査によると、原爆投下の是非に踏み込み謝罪することを「求めない」と回答したのが78・3%、「求める」と回答したのは15・7%だった。  田中さんはシアトル移住後、自身の原爆体験を現地学生に話す機会があった。被爆体験を聞いた生徒の反応を聞くと「やはりとてもびっくりしていました。でもきちんと聞いてくれた」と話す。  オバマ大統領は演説の中で、「いつの日か被爆者の声で証言は聞けなくなる。だが1945年8月6日朝の記憶が薄れてはいけない。その記憶が、私たちの現状肯定と戦わせてくれる」と語った。  過去は過去。犠牲者は蘇らない。だが現実を肯定してしまう前に、何度でも犠牲者、個人の体験に想像力を働かせることも必要だ。被爆者のみならず、戦争の犠牲者の声からは、田中さんと同じ普遍的な願いが聞こえてくる。「戦争をしない世の中に」――。  今回の訪問が政治的なパフォーマンスとしてではなく、核兵器による犠牲者が出ない未来に向けた現実的な前進となることを期待したい。   (大間 千奈美)

Article of Naomi and Yumiko

インタビュー寄稿 敬老ノースウエスト ボランティアに聞く

1 愛犬と共にする社会貢献 —–敬老ノースウエストでボランティアを始めた理由は何ですか? ナオミ(N) : 私は盲導犬の育成もしていて、秋祭りに育成中の犬を連れて行った時に敬老のスタッフのめぐみさんにスカウトされたのがきっかけでした。 ユミコ(Y) : 私はずっと犬と育って、日本からアメリカに来て7年目で初めてKitを飼いました。Kitと歩いていると特にお年寄りの方とか小さい子供さんに声をかけられることが多くて。ボランティアをやりたいと思っていたところに、なおみさんが声をかけてくれたのがきっかけです。 —-レジデントと犬、お二人それぞれの関わりの中で印象的だった出来事はありますか? N: 嬉しいことは、犬を撫でていただいて、1人でも明るい顔に変わっていただいたときは一日来たかいがあったと思います。 Y : ご高齢の方もいらっしゃって、訪問していくと、「何か食べ物上げて」という感じで手を伸ばしたり、見ただけで顔が、ぱっと明るくなる人がたくさんいて、人間にはできないことだと思います。 N : 自分の愛犬と一緒に社会のお手伝いをできるということはうれしいことですね。 Y : ボランティアを通して、どうやったら年をとってもポジティブに生きていけるかとか、皆さん一人一人の人生を見ることで勉強になります。 Y : 犬が苦手な人もいますけど、犬は人を選びませんし、犬と触れ合うことで気持ちが安らぐ瞬間があると思います。何も企みもせずに、人の心を癒せるのが魅力ですね。 —-最後に、どういった人と一緒にボランティアしたいですか? 2人: […]

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オレゴンからの声 コミュニティー代表者に聞く

ノースウエストの一角として、ワシントン州に隣接するオレゴン州。ポートランドは当地と並ぶノースウエストの中心都市で、近年は日本からの注目も高まっているという。オレゴン州は林業やコンピューター関連で日本とビジネス関係を築き、日本文化の浸透度、理解度も高いといわれている。3年弱にわたり任期を務めてきた在ポートランド日本領事事務所の古澤洋志前総領事(取材当時総領事、3月離任)に話を聞いてみた。 領事事務所となって久しいですが、管轄区における業務内容に変化はありますでしょうか。  事務所にかんしては、スタッフ、オフィススペースが半減、総領事公邸もカットとなりましたが、オレゴン州を見てみますと、3年前から企業数、邦人数を比べると増えています。  2015年10月で企業数は135になりました。これは2012年時から38プラスです。オレゴン州民の雇用者数は7585人ということで2638人増えています。邦人数もそれに合わせて増えています。  経済活動も日本とオレゴンの間で盛んで、文化活動や学生数も比例して増えています。   日本からオレゴン州の注目が高いと聞きます。こうした要因はどこにあるとお考えでしょうか。  ひとつはオレゴン州政府やオレゴン日米協会などが集まり、日本で毎年、「Doing Business in Oregon」と称して企業セミナーを行っています。今年は6月にJETROや日刊工業新聞、米国大使館などと共催して日本で中小企業を中心に誘致活動をします。こうした活動が徐々に浸透しています。  日本では昨今、ノシアトルを含めて、ノースウエストの環境、治安など住みやすい好条件が見直されているところだと思います。労働の質もあるかと思います。  ポートランドは日本のメディアで取り上げられ、注目度の高い街になっており、環境都市、コンパクトシティーといった名前で呼ばれ、注目を集めています。日本の都市計画課や建築家、大手の不動産会社が、ポートランドから学ぶことはないか、訪れているようです。 日本文化の理解も深く、特に人口当たりの日本語学習者数が高いと聞きます。  日本語学習者数の比率はハワイに次いで全米で2番目です。一般の米国市民が日本語を勉強している部分では、普段街を歩いていて日本語を理解する市民によく出会うというのがこの州の特徴で、日本語が浸透しているのだと実感します。 州内では小、中、高、大の48教育機関が日本語を教えているわけですが、任期の間に各学校に足を運んで総領事表彰を学長に渡しました。  これは私の1つの仕事の柱としてやらせていただきました。日本語のクラスが私立学校をはじめ各地で消滅していると聞きますが、今も維持して教えてくれている学校を配慮することは、日米関係の上でも良いことだと思っています。  イマージョン学校は小、中、高とあります。先生方の熱意に感銘を受けました。 他州も赴任されておりますが、日系、日本文化などオレゴン州ならではという点はありますか。  今まで赴任先は大都市でしたが、ポートランドは中都市で、シアトルに比べても小さいです。しかし、それなりにまとまりがあり、街を動かす人の顔が見えやすいです。市長、知事、経済界のトップと会う機会があり、時間的な余裕もあり、一対一で会って話す機会も多く、非常に仕事のしやすいところだと思います。  また親日的な土地柄も、生活をすればするほど実感します。市民が多く日本語を学んでいることも要因だと思いますが、過去に優れた政治的指導者がいて、日本企業をオレゴン州に入りやすいように様々な配慮をしてくれました。  そうした先駆者に加え、その前には日系人が重要な役割を果たしました。農業などでは、苦しい時を乗り越えて、一生懸命改良を重ねて良い仕事をしてきたことで認められ、主流社会の人たちに浸透し、日本人に対する意識が変わってきたこともあると思います。 日系人社会との交流はどういったものが印象にありますか  当地には日系人の団体が3、4ありまして、他の西海岸に比べれば小ぶりな団体ですが、皆さん一生懸命活動されています。米国人ではありますが、ルーツは日本ということで日本政府は見放すことはしません。領事館として、日系人との関係は緊密に維持しています。 東日本大震災から5周年、当地からの被災地への復興支援活動について。 […]

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世代またぐ日米のルーツを紐解く レズリー・ヘルムさん 『横浜ヤンキー』イベント20日開催

February 17, 2016 The North American Post Staff 0

横浜というと船舶や西洋文化の入ってきた街という印象を思い浮かべやすい。「みなとみらい」や「赤レンガ倉庫」などもそうだろう。  港湾都市として今も栄える横浜だが、横浜と共に100年以上歩み続けてきた一族にヘルム家がある。明治時代に横浜に渡ってきたユリウス・ヘルム氏から同地での歴史が始まる。現在まで連綿と続いてきた一族の趨勢を綴った自叙伝として、『横浜ヤンキー』が出版された。  著者のレズリー・ヘルム氏は横浜で育ち、現在シアトル在住。ユリウス氏から四世代目となる。日本と米国という二国の文化的背景を持つため、「アウトサイダー(部外者)」として生きざるを得なかった同氏の苦悩の日々や、世界大戦などの戦争や、関東大震災といった大きな歴史のうねりに翻弄されてきた一族の歴史を描いた。  日本で生まれながら「ガイジン」として育ち、米国に移ってからもアウトサイダーであると感じていた同氏が始めた自己発見のための一族調査。2013年に英語版、昨年に日本語版が出版された。20日にはインターナショナル・ディストリクトの和み茶室で午後2時から関連ブックイベントが開催される(詳細カレンダーページ)にあたり、ヘルム氏に話を聞くことができた。 『横浜ヤンキー』の由来は何でしょうか。  「英語でヤンキーというと外国人(Foreiner)という意味があります。あと子供の時によく『君はヤンキーだろ』と言われることがあったのですが、米国人という意味もありました。つまり横浜が日本を表し、ヤンキーが米国で、日本と米国2つのつながりを表しています」 外国人、ミックスド・ルーツについて、ヘルムさんが子供の時に苦労されたことは  「私はそういう経験はあまりなかったです。友達の子はミックスド・ルーツなんですが、いじめられたりとかそういうことはあるみたいです。周りと比べて少し違うということが原因かもしれません。例えば肌の色の違いや、文化の違いなどです」 2つの文化的背景がプラスに働くような場面はどういった時でしょうか。  「プラスになる部分はあるはずだと思います。ただ2つの文化をどの程度活かせるかによって違ってくると思います。例えば2つの文化を持つからといって2カ国国語を完璧に話せわけではないですよね。特に日本の教育では漢字を覚えたりするのがすごく難しいです。また良いイメージを持たれがちかもしれないのですが、実際にほかの日本の方たちと同じ扱いをされるかというとそうでもない。どうしても集団の中で浮いてしまうので、同じ扱いをすることが難しいのでしょう」 日本社会に溶け込むために何か意識していたことはありますか。  「まずは言葉が大事だと思いますし、それから日本の文化を学んで取り込むことでした。ただそれをしたからといって溶け込めるかというとそうではありませんでした。日本の文化を取り込もうとしても、どこまで米国人としての自分を残すのかというバランス取りが難しかったです」 自分のルーツに対して強い思いを持つ理由は何でしょうか。   「一つにはやはり外国人として日本に住んでいると、自分のルーツは何なのか、自分が誰なのか考えさせられたからです。日本人から見て自分は『外国人』ということがアイデンティティになってしまう。やはりほかの文化で育った人にはそういう問題はよくあると思います。つまり自分が属するコミュニティーがわからなくなってしまうということが一つ目の理由です。  もう一つは日本に住んでいる際、日本人の子を養子に迎えたとき、自分のルーツがしっかりしていないことが子供を育てる際に問題になると思ったからです。私の父を例に挙げると、彼は半分日本人の血が入っていましたが日本の文化が好きではなく、日本語もあまりしゃべれませんでした。  また米国で兵役についている際には、日本人の血が入っているということで完全に米国人にもなり切れなかったということが大きな影響を及ぼしたと思っています。それがあって自分を恥じてしまい、あまり幸せではなかったように思います。そういった父の影響もあると思います」 ルーツが不安定なことでアイデンティティーも不安定になってしまうという事でしょうか。  「そうだと思います。アメリカンな部分もですが、自分の日本的な部分も大事にしたほうが良いと思います。自分のルーツを否定するのはよくないと思います。日本に住んでいたときは外国人として見られたりと多少は嫌なこともありましたが、振り返ってみると良い所に住んでいたと思います。日本に住んだことにある友人も似たようなことを言っていました。嫌なこともありましたが、そういうこともひっくるめて大事に、プラスにしています」 (白波瀬 大海)

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