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シアトル石垣プロジェクト 3

September 14, 2016 The North American Post Staff 0

 僕は結構早くから、自分の役割は「情熱馬鹿(Passionate fool)」であることに気がついて、それに専念した。これはそうしようと思ってやったのではないのだが、どうも僕が情熱的に人に石垣プロジェクトの事を話すと、「ああ、頼りなくて見てられないから、いいよ。じゃあ、これは私がやっといてあげるよ」とか、「能力が情熱についていっていないね明らかに。しょうがない、このことは任せておいて」と言う風に人が手伝ってくれるのであった。能力がないから得した珍しい例ではなかろうか。  窪田ガーデン理事長のジョイ・オカザキも資金集め等で「情熱馬鹿」が必要なときは連絡してきて、「ほれ、お前の得意なあれやれ」と僕に話をさせてくれるのであった。  おかげで、いろいろな人たちに会い、いろいろな集まりやパーティーにも行った。シアトルの市長にも会い、日本領事ともお話ししたし、有名無名の資産家達にも会った。ともかく話を聞いてくれそうな人がいると訪ねていって話した。 ◇ ◇ ◇  日本の伝統的な石割の道具である「飛び矢」という鉄製の楔を使って1㌧の石を割ってみた。他にもっと簡単で手間がかからない石の割り方があるのだが、「飛び矢」はワークショップで使うので、慣れておかなければならなかった。ビギナーズラックで初めて試したときに上手くいき、興奮して有頂天になって割った写真を沢山撮ると色々な人に送った。  その写真と熱にうなされたかのような熱い文が、シアトル・タイムズ紙のアラン・バーナーという記者のデスクにたどり着いた。アランはすぐに電話してきて、取材をしていった。それがローカル欄の一面に載った。載ったその日に招かれていたパーティーに行ったら、知らない人から知らない人に紹介されるというなんともシュールな経験をした。それは、朝新聞を見た人が僕に気がついて、自分の奥さんとか知人にこう紹介するのだ。「ほら、この人が新聞に載ってたローカルアーティストだよ。ああ、こんにちわ、これがうちの家内のジェーンです。よろしく」といった具合であった。  日系の小柄なおじいさんがすすっと寄ってきて「もう声聞いた?彼らはもう話してきたかい?」といきなり聞いてきた。  「はっ?誰がですか?」  「彼等だよ。やっぱりアメリカの石だから英語で話すの?」  これは僕が新聞のインタビューのときに、 「粟田家の人たち位になると石の声が聞こえるそうですよ」とか何とか言ったのを覚えていたらしかった。  「ああ、まさか、僕にはまだまだ話してきてくれないですよ。何語でも」  小柄なおじいさんと二人で大笑いしてしまった。  流石に高年齢の方達ばかりだったが、まだ新聞を読んでいる人たちがこんなにいるんだな、と感心したのを覚えている。 ◇ ◇ ◇  ゲリー・トンプセンというドキュメンタリー・メーカーの人も知人の伝をつたってこのワークショップの事を知り、ドキュメンタリー用のビデオを撮ってくれる事になった。まだ資金のことはまったく考えてもいなかったのだが(当たり前にあてもまだなかった)、ゲリーは、「いいよ、お金は出来たときで」、と言ってくれた(ワークショップから10カ月後に資金が手に入る事になる。それまでゲリーはただ働きだった)。  ゲリーは資金集めなどでみせる短いプロモーションビデオを何本か撮ってくれた。もちろん、言いだしっぺの僕がメインに登場するビデオなのである。僕も人前で宣伝とかあまり得意ではないのだが、この際構わなかった。自分の切り売りでも身売りでもなんでもドンと来い、そういう感じだった。  そんな事を2年近くも続けた。  そして、2014年。  夏。  とうとうワークショップが現実したのであった。 (続く) (児嶋 健太郎)

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デンショ―20年

September 14, 2016 The North American Post Staff 0

 第二次世界大戦中における日系人収容所政策の歴史を中心に日系史デジタル保存プロジェクトを続ける地元非営利団体のデンショー。9月24日に発足20周年となる夕食会を開く。  発足当時、一世はすでに世にほとんどなく、二世も高齢となっていた。一般社会で三世の活躍も多く見られ、特に当地ではマイクロソフト社などIT業界の最前線に携わる日系関係者も多かった。  当時、他にはないデジタル保存事業はそうした三世たちの技術とシアトルならではで培われた創造性、リーダーシップの引継ぎ、歴史保存の大切さを理解する二世の理解と協力が大きい。  「歴史は繰り返す」ように人種、宗教に絡んだ問題は起き続けている。多様化を続ける今はさらに複雑化している部分もある。  だが日系人に起きた出来事、心の傷、語られていないストーリー、経験は今の時代にも必ず生きると関係者は信じている。トム・イケダ事務局長がオンラインメディアに寄稿した記事は、先週本紙英語面でも転載された。第二次世界大戦で叔父が戦死、市民権を与えられず、「日本人」だった祖父と祖母が受け取った米国国旗。民主党大会で登壇、息子をイラク戦争で失った米国人イスラム教徒のキズル・カーンのスピーチに思いを巡らせた。 8月。日本では「終戦」という言葉が数多く聞かれることになる。戦争の歴史が続く「米国」にとって「終戦」とは。またキング郡政府が讃えた韓国系社会にとっては、建国の月であり、日本の植民地政策からの「解放」の月でもある。  日系人にとっては、当地であればピュアラップの集合所からアイダホ州ミネドカの収容所への移動月となる。「いつシアトルへ戻れるのか」、「これからどうなるのか」、先の見えない3年あまりの生活の最中。  そして混沌の「終戦」後。フリージャーナリストの川井龍介氏が寄稿する小説「ノーノー・ボーイ」の考察記事でも、当時一世の移民感情、二世の思い、それぞれが描写されている。 「移民者」として、また「Expat」として、いつの時代も、あらゆる側面から考えなければらない。   (佐々木 志峰)

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オーバンに残る日系史

September 9, 2016 The North American Post Staff 0

当地日系移民の歴史を探る上で欠かせないのが、日系墓地の存在だ。シアトルでいえば、キャピトルヒルにあるレイクビュー墓地は、日系人区画は広範囲になり、毎年のメモリアルデーの戦没者慰霊祭が開かれている。またクイーンアンにあるマウント・プレザント墓地は、大北鉄道の路線事故で犠牲となった多くの日系移民工夫を慰霊している。  こうした日系墓地において特異なのが、オーバン市のパイオニア墓地だろう。1860年代の移住者による墓地を始まりとするが、グリーンリバーの洪水などで多くが丘の上の墓地へ移る中、20世紀以降は、徐々に移住者を増やしていた日系移民の墓地として利用されることになった。  資料によると、1900年段階で、オーバン地域には432人の日系移民が生活していたという。1912年建立の白河本願寺は1914年、オーバン市からパイオニア墓地の東端から25フィートの区画に日系墓地設置を認可され、また同所の管理を任された。オーバンに居を構え、今3世代目となる夏原ファミリーが長年にわたり、清掃を含めケアを続けたという。メモリアルデーには白河本願寺の主催による特別法要が毎年行われている。  墓地に入ると、寺田、夏原、田辺、山下、山田、米谷など、墓石に名前が刻まれている。数は120ほどあるという。現在当地日系社会で活躍、このオーバンの墓地を縁とする関係者も少なくない。  同所は8月、同市とキング郡から歴史史跡としての認定を受けた。初期の墓石はコンクリートで作られ、長年にわたる雨、あるいは洪水で浸食し、ほとんど文字が見えない。また破壊された形跡のあるものも少なくない。今後、同地に足跡を残す日系人、またオーバンの貴重な歴史資料として保存活動が進められる。  オーバンは白河本願寺の盆踊りが毎年開催されているが、近年は同地における日系史を振り返る関連イベントが続いている。別の歴史史跡、ニーリー・マンションの庭には、堀一家が利用した外付けの風呂場が再建された。同市ホワイトリバーバレー博物館では、日系人収容所関連の展示会が11月まで行われている。パイオニア墓地もまた100年以上続く歴史の象徴として加わることになる。  (佐々木 志峰)

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ケイコズ・ジャーニー もう1つの日系史 読み語りで披露中

マーサーアイランドでヘアサロン「スタジオ904」を経営するケイ・ヒライさんの自叙伝『Keiko’s Journey』の読み語りイベントが、16日にワ州日本文化会館で開かれた(写真英語2面)。日系史編纂プログラム「思い出」の月例会合の中で開かれ、ヒライさんの日本での思い出が、5人による読み語りで紹介された。

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あの日の北米報知 第237回 1975年8月11日号より

 当地には様々な宗教関連団体があり、日系社会の構築に大きく寄与してきている。1975年当時には、当地にある日系宗教団体の関係者がお互いに集まり、日系宗教家会を発足。情報、意見交換をはじめ、横のつながりを強化する試みが行われた。出席者を見ると、当時はまだ日本語宗教関係者が主だったことがわかる。現在は日本語、英語の比重、また日系住民の生活圏が広域になっとこともあり、主だった日系教会の運営状況は異なる。一方で各季節の関連イベントになると、宗教、宗派に関係なく、お互いに足を運び合い、各行事を楽しみながら支え合う伝統が続いている。本紙でも白河本願寺仏教会の小杭好臣住職が主催する地元宗教者からの寄稿『心の灯火』が掲載されている。   (N・A・P)

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ミネドカ収容所跡地への旅      再現される関連施設

 毎年恒例の行事となっているミネドカ収容所跡地へのツアーが23日から26日にかけて行われた。シアトルとポートランドからはツアーバスが出向、現地合流者を含め多数が参加した。  第二次世界大戦における日系人強制退去を受け、シアトルやポートランドの市内で生活していた日系人は、約3年にわたりアイダホ州ミネドカ収容所での生活を余儀なくされた。同所は現在、国立史跡として保存活動が進められており、日系関係者や人権活動家を中心に毎年ツアーが組まれている。近年は収容所時代の象徴的な場所や建築物が再現されており、今年は野球場1面が蘇った。  ツアーでは収容所跡地の訪問のみならず、第二次世界大戦から現在まで消えることのない人種偏見や人権問題に関する討論会に加え、参加者や現地市民との交流会などが盛り込まれている。  独立記念日の週末にはタコマやシアトル郊外の日系人が送られたカリフォルニア州ツールレイク収容所跡地への旅が実施される。    (N・A・P)

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収容所時代の手作り作品 日系展示会、7月から

 オーバン市にあるホワイトリバーバレー博物館で第二次世界大戦における収容所で作られた様々な作品が展示される。  「Handmade in Camp – What We Couldn’t Carry」と題した新しい展示会では、家具、宝石、大工道具、絵画、裁縫道具、本、ゲーム、玩具や刺繍細工など約60点が紹介される。日米開戦を機に当地からスーツケースのみの持ち物で強制退去を受けた日系関係者が、収容所で自らの手で製作した品々となる。様々な制限が課された生活環境の中で思いを込めて作られた一品一品を見ることができる。  博物館によると、多くが日系関係者からの寄付を受けての展示で、公の場では初めて見る展示品が並ぶ。  展示会は7月6日から11月6日まで。7月12日には展示を担当するケン・マツダイラさんによる講演が行われる。詳しくは(253)288―7433、もしくは http://wrvmuseum.orgまで。    (N・A・P)

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