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あの日の北米報知 第238回 1965年7月30日号より

 大統領選挙の年となり、各自治体で市民権取得サービスに力が入れられている。1964年当時のワ州内帰化者の人数は2102人。カナダ人が526人ともっとも多く、次いでドイツ人が358人、英国人が133人とある。日本人が4番目に続き、124人だった。イタリア、アイルランドも多い。50年前の移民状況は、現在の人種や国別構成と異なることがわかる。全米での帰化者数は12万2214人だったという。        (N・A・P)

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あの日の北米報知 第237回 1975年8月11日号より

 当地には様々な宗教関連団体があり、日系社会の構築に大きく寄与してきている。1975年当時には、当地にある日系宗教団体の関係者がお互いに集まり、日系宗教家会を発足。情報、意見交換をはじめ、横のつながりを強化する試みが行われた。出席者を見ると、当時はまだ日本語宗教関係者が主だったことがわかる。現在は日本語、英語の比重、また日系住民の生活圏が広域になっとこともあり、主だった日系教会の運営状況は異なる。一方で各季節の関連イベントになると、宗教、宗派に関係なく、お互いに足を運び合い、各行事を楽しみながら支え合う伝統が続いている。本紙でも白河本願寺仏教会の小杭好臣住職が主催する地元宗教者からの寄稿『心の灯火』が掲載されている。   (N・A・P)

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あの日の北米報知 第236回 1975年7月17日号より

米国の独立から今年で240年となる。1976年の200周年では、当地にも日本から記念碑や桜など数々の祝いが贈られた。前年の1975年には日本政府機関を中心にギフトの内容に関する諮問委員会が作られている。本紙でも紹介されているが、そのうちの1つに桜の名所を西海岸に作るというものがあった。シアトルを含めた主要都市に依頼する旨が発表されている。当地に贈られた1000本の桜に関連するものと思われる。            (N・A・P)

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あの日の北米報知 第235回 1965年7月13日号より

 夏のシーフェアの関連行事が毎週当地で開かれ、今月に入ると各自治体でのパレードが盛んに行われるようになる。1960年代当時は日系社会をアピール、各所で話題を集めたフロート(山車)があった。毎年日系社会から寄付を募り、テーマを持った山車を製作し、各年の日系コミュニティークイーンを乗せ各地で開かれるパレードに参加した。数々の賞も獲得、日系社会の団結や外へのアピールも兼ね「古き良き時代」の象徴ともいえる行事だった。1965年当時は『蝶々夫人』を題材とした山車が作られ、コミュニティーに寄付を募った。目標金額は当時で3500㌦。募金場所には懐かしいビジネスの名前もあり、本紙も協力所の1つとして記載されている。                                                  (N・A・P)

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1965年7月7日号より

 夏となるとコミュニティーを含め、各所で開かれるゴルフ大会。日系関係者のスポーツへの思いが伝わる季節でもある。1965年当時の記事に日本航空が主催するゴルフ大会に関する記載があった。支店のある各地域で大会を行い、スコアを比較、世界優勝者を決定するというものだった。当時は3回目の開催で、前2回は地元の原田義人、ウィリアム民部の両日系関係者が地元優勝を果たしている。                (N・A・P) 編集部より

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あの日の北米報知 第233回 1966年6月3日号より

 ワシントン州の東部にあるスポケーンからのニュースで、地元商業会議所から日系女性が表彰を受けたとの記事が掲載された。ベインブリッジ島出身のヨネコ・マツシタ(松下米子)さんで、地元鉄道会社に勤める夫とともに、自身はアパートを経営しながら、高校、大学、一般社会で活躍を見せる息子5人を育てたことが讃えられた。当時はベビーブーマー世代を育てる親や引退時期を迎えた一世を讃える記事をよく見かける。            (N・A・P)

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あの日の北米報知 第231回 1966年6月8日号より

 シアトル、神戸の姉妹都市関係がプログラムとして深化するなかで、港湾同市も姉妹港となることが決まったのは今から50年前だった。1967年5月から正式に関係が始まった。シアトル市と独立した形の港湾局に対し、神戸港は市が運営するというシステムの違いもあったが、港湾局委員会による提案で決定。YMCAを含め、様々な姉妹都市交流プログラムの1つとなった。                      (N・A・P)

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あの日の北米報知 第229回 1967年6月6日号より

 ネバダ州リノの墓地に眠る初期日系移民の歴史。高橋梅吉氏という元武士の墓が日系関連団体や関係者の調査で発見された記事が掲載された。記事によると、慶応三年(1967)当時に米貨物船に強引に連れ込まれ米国へ送られたとある。米国へ渡った日本人の最初の1人と墓石に記されているという。1907年61歳で死去。西海岸ではなく、ネバダ州リノにあったことも興味深い。19世紀後半は金、銀など資源採鉱のため賑わいをみせていたという。  (N・A・P)

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あの日の北米報知 第228回 1967年5月11日号より

日系市民協会(JACL)シアトル支部が67年当時に地元日系の母親をたたえる賞を創設した。初年度受賞者は時田春子さん、夫を第二次世界大戦後に亡くしながら、懸命の努力で8人の子供を育て上げ、全員を大学進学させた。戦後に収容所から戻り日系社会を再築するなかで伺えるストーリーの1つだろう。        (N・A・P)

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あの日の北米報知 第227回 1967年5月5日号より

当地の程よい郊外にあり、スノクォルミー川に隣接する公営ゴルフコース、カーネーションゴルフコース(現ブルーヘロン・ゴルフコース)が50年前に開場した。地元日系人のフランク・ヨシタケ(吉武)さんが、開設に大きく寄与したとの記事が掲載されている。   (N・A・P)

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