私の東京案内 9    月島と佃島 2

 人工島月島の北端にあるのが佃だが、これはずいぶん昔からあった。埋め立てというより自然の島、あるいは砂場がその元だったのではないか。葛飾北斎の絵を見るとわかるが、海の浅瀬にできた島のように見えるのだ。徳川家康が江戸に幕府を開いたときに大阪から連れてきた漁師たちをここに住み着かせたというが、彼らの捕った魚は、まず将軍家が必要な分を取り、あとは近くの日本橋の市場で売られた。つまり17世紀の初めから佃には人が生活していた。その頃の火の見櫓の複製が公園の一角にある。
 今の佃島は海と川と運河に三方を囲まれており一周しても30分ほどだ。橋がいくつかあるが、島という感じはあまりしない。いわゆるタワーマンションという高層ビルが北の端の水際に建っている。そこからの眺めは抜群だし築地や銀座には遠くないから、これらのマンション(コンドミニアム)はさぞ高価だろう。だが、水辺を離れて少し奥へ進むと、ささやかなながら漁業も海産物の生産が今も続いていることがわかる。島の中を走る運河には小型の漁船が何艘もやってくるし、そこに架かる朱色に塗られた橋は木製の少し中高の懐かしい形である。
 小魚を長時間甘辛く煮付けた「佃煮」という食品は、昔から日本人の代表的保存食だが、それが作られたのが佃島だという。本当らしいが、いぶかしく思うのは、以前ここに初めて来たときに「佃煮」を買い求めて、家に帰って包装をよく見ると「中国製」と書いてあったからだ。その佃煮はおいしくなかったが、今回足を運んでみて、昔からある老舗の佃煮店が2軒ほどあるのに気がついた。入ってみると、その値段はおどろくほど高価だったが、その店の年期のはいった立派な佇まいによって、わたしは食よりも審美眼が満たされた。この地も戦火を浴びなかったのだが、店は江戸末期からあったのかもしれない。
 住吉神社がその先の静かな一郭にある。漁師や水夫たちの守護神を祭った全国にいくつもある神社だが、佃島にあるのは特に素晴らしい。今も住民や関係者たちに支持され、守られていことがわかるが、木建物の壁にほどこしてある彫りものは、造った職人の腕の確かさや、できばえの繊細さからいってほかに比類なし、とわたしは見た。境内の隅の水飲み場にある彫刻は漁師の仕事を語っているが、これも小さいながら見事なできばえだ。まわりに人影がないことなどから、あまり広く知られていないようだが、探し当ててここへやって来れば満足すること受けあいだ。
 ここにも数少ないながら長屋がある。よく手入れがされているが、総じてかなり古い。そういえばこの地は関東大震災のとき(1921年)も火事をまぬがれたという。第二次世界大戦後、またその後の東京大改造からも身を守ってきたようだ。近くに商店街さえなく不便だという人はいるが、小学校や小公園があり、少し歩けば月島に出られる。運河が残っているのもめずらしい。島の北端からの水辺の眺めは抜群で、これほどのものは東京には他にないだろう。東京散歩の穴場ではある。日本橋のホテルへの帰りは月島から都営地下鉄大江戸線の森下へ、三田線に乗り換えて浜町か馬喰横山まで行っても良いが、タクシーという手もある。
  (田中 幸子)