シアトル石垣プロジェクト 8

 

さて、このワークショップでもそうだったが、いつもお世話になっているのが、ポートランド日本庭園のキューレーターをなさっている内山さんである。
 内山さんは日本とアメリカの文化の生きた架け橋とでも言う人で、僕は内山さんの哲学と実際にやろうとしている事にとても共感を覚えるのである。今内山さんが手がけている長期プロジェクトは、日本文化、伝統技術等を教えるアカデミーのようなものを設立することだ。普通アメリカで日本の伝統技術を学ぼうとしたら、本を読んだり人に話を聞いたり独学でがんばるか、日本に移住して修行するかの選択しかないので、その中間に存在する教育の場を作りたいそうである。
 胴震いがする程うれしくなってくる。是非とも作ってもらいたいものである。
 2015年から2016年にかけてポートランド日本庭園の拡張工事の一環として大きな石垣が必要になるそうである。建設を粟田建設に頼むことになった。そこで、今回のワークショップにポートランドで石垣の建設に携わる事になる数人を送ってきた。(内山さんも最初の数日ワークショップに参加された。)
 その一人がラモンだった。
 ラモンは日本勢(社長以外)が泊まっていたホテルに泊まっていたので、送り迎えは彼がしてくれて助かった。ラモンは日本語ができないし日本勢は英語もスペイン語もできなかったが、意思の疎通はどういう訳かできていたみたいだった。ラモンの腕前は鑿とハンマーのリラックスした握り方ですぐ分かった。ハンマーを振らせると無駄なエネルギーをまるで使わないピリリッとしまった腕の良い職人の振り方だった。彼はすぐ日本勢の目について、純徳社長の横について石を積むときの調整を助ける大切な役目を任じられた(身振り手振りで)。社長との細かい石の調整のやり取りも言葉無しで余裕でこなしていた。「石語」はどうやら全世界共通らしい。ラモンも日本勢が気に入ったみたいで、意気投合しあっているように見えた(身振り手振りで)。
 ラモンは黙々と働き、しっかり仕事の流れを観察し、理解して、先の先を読んで行動するので重宝がられた。礼儀も正しく、時間に厳しく、なんとも日本人的だった。社長がワークショップの中盤にポロッと、「ラモンを日本に連れて帰りたいくらいだ」と言った。
 これはラモンにとって最高の賛辞だった。彼は、あくまでも静かに、満面の笑みだった。
 一度日本勢がラモンに毎日の車の運転のお礼をあげようとしたのだが(僕がお礼をしないといけないのに!)、ラモンは頑なに受け付けないのであった。最初は「いえ、いえ、そんな」と言う感じだったが、日本勢が「どうしても!」とお金をポケットにねじりこもうとすると、ラモンは逃げるのであった。本当に日本人みたいな人だった。彼はあまりにも役に立ってくれたので、本当はワークショップの最初一週間の参加の予定だったのだが、無理を言ってずっと残ってもらった。
 もう一人、ポートランドからの参加は、アダムという非常に印象の良い若者だった。若くても彼は庭師主任だった。彼は、有能な剪定師だそうた。剪定師によくある小さくて細くて、強い、そういう体格をしていた。彼も残念ながらワークショップ全部は参加できなかったが、色々楽しんでいったようだった。
後日談になるが、アダムはその後、日本に短期修行に行った。アダムと社長、あと今回シアトルに来た日本勢の数人とが、どこかのお店で楽しく飲んでいる写真をフェイスブックで見た。他人事なのだが、こういう人間の繋がりを見ると、どこか深いところからふつふつと嬉しくなってしまう。知らないうちに大きな笑みが顔に浮かんできてしまうのである。
      (続く)
(児嶋 健太郎)